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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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14.念仏称えたら
   何かいいことあるの?
   何か呪文のように思うけど
   ----絶対他力の念仏

「念仏にまさる善はない」
と、第一章に言われ、
「念仏よりほかに極楽往生の道はない」
とまで、第二章に断言されています。
 
 ところが第八章では、
「念仏は、行者のためには非行非善なり」
 念仏は、行者のためには、善でもなければ、励むべき行でもない、
という、意外なことが言われています。

 これは、どういうことか?

 ヒントは、「行者」の正しい理解、にあるようです。
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ありがとうございます。
ご返答ありがとうございます。

「必ずしも賛同ではない」とのことですが、

それでは「賛同される場合もある」ということでしょうか。

私の受け取った印象では、
例えば“「歎異抄をひらく」のポイントをチェック”の記事では15項目にもわたって内容を詳細に紹介される力の入れ様、

しかも書き連ねられた文言からは、その書籍内容に管理人さん自身が大いに賛同されていると感じたのですが、どうでしょうか?

また、アニメ「親鸞さま」に関しましても、その内容に本願寺派の一僧侶として意見・感想を投げ掛けるというのは分かるのですが、

他の新興宗教団体の制作アニメと比較する、また本願寺制作のアニメはその作品の二番煎じだと言わんばかりの文言からも、単なる参考ではなくて、賛同の意志があるように思うのですが、どうでしょうか?

この2点を採りましても、管理人さんの、あくまでも参考と言われる姿勢には、一定の新興宗教団体に肩入れするような偏りがあるような気がするのですが、どうでしょうか?

「歎異抄をひらく」の著者紹介に関しましても、管理人さんの懇切丁寧な紹介記事を読んで、買ってみようと思われた真宗初心者にとっては、「富山県」「龍谷大学」だけではあまりにも説明不足のような気がします。

内容紹介にあれだけ熱が込もった文言を並べられたのに、その著者を紹介されるところでは何故かあっさりされている。

本願寺派僧侶であられるならば、著者に関して紹介する文に付言すべき史実があるはずだと思うのですが?

そのような点をしっかり掲載されたうえで書籍紹介することが、この記事を読んで真宗思想に初めてご縁を結ばれた方に対する礼儀であり、また「参考」のエチケットなのではないでしょうか?

以上、どうかご返答願います。

尚、長文駄文につき読み悪い点が多々あることをお詫びさせていただきます。

行中摂信 2008/08/06(Wed)23:57:33 編集
広く学びましょう
派外、派内を問わず、宗祖親鸞聖人の教えを正しく伝えている書籍や論文には敬意を払うべきでしょう。
広く多くのことから学んでいく姿勢を、大切にすべきだと思います。
行中摂信さんは、「歎異抄をひらく」の内容にご不満がおありのようですが、例えばそれはどこですか。
私は、例えば五木寛之さんの「私訳 歎異抄」などに比べたら、ずいぶん勉強になりました。
あの本で、気になられたことがあれば、ぜひお聞かせください。
実は、私も、どなたかと、これについて話をしたいと思っていたところです。
ぜひ、お待ちしています。
管理人です 2008/08/07(Thu)06:20:20 編集
宗祖親鸞聖人の信心
行中摂信さまへ。

 いつもすばやいレスをいただいておりますが、今回はまだのようで。
 私の聞き方が悪かったようですので、簡潔に申します。

 行中摂信さんは、「歎異抄をひらく」の内容にご不満をお持ちのようですね。
 あの本の内容の、どこがどのように、宗祖親鸞聖人の教えと相違するのでしょうか。
 また、宗祖の信心と異なるのでしょうか。

 何も相違しないのであれば、もとより問題ではありません。
 行中摂信さんが、種々ご不満なのは、何か内容に問題があるからでありましょう。
 それは、どこですか、とお尋ねしているのです。

 貴方のお考えと相違する、ということではなくて、宗祖の教えと異なる、という点です。お聞きしているのは。

 お分かりでしょうか?
 お待ちしております。
管理人です 2008/08/07(Thu)21:32:41 編集
行中摂信さんの質問
7日遅くに行中摂信さんからコメントがありました。ですが、その文中、ご本人も「言い方が乱暴になった」と書かれているような文章ですので、そのまま掲載するのは、ご本人の為にもはばかられます。
そこで、行中摂信さんのお尋ねを、簡潔にまとめると、下記の通りです。
(1)「歎異抄をひらく」に賛同するのか。
(2)「世界の光 親鸞聖人」に賛同するのか。
(3)著者紹介はもっと詳しくせよ。
(4)北陸のS会に好意的に思えるがどうか。

さて、(3)は有難いご意見として承っておきましょう。
(4)については、つまりは(1)と(2)関連しての問いでしょう。

したがって、論点は(1)と(2)にしぼったほうが分かりやすいと思われます。

お答えします。
いずれも、宗祖親鸞聖人の教えに違背するところは、見出せません。
行中摂信さんは、いずれも親鸞聖人の教えに違背する内容だと言われています。
そこで、お尋ねしているのです。

この二つのどこが、親鸞聖人の教えと異なるといわれるのでしょうか。
管理人です 2008/08/08(Fri)01:41:53 編集
行中摂信さんへ
 行中摂信さんは、「お前は『歎異抄をひらく』に賛同するのか」とお尋ねでしたので、
「私は、あの本の内容で、宗祖親鸞聖人のみ教えと異なるところはないと思います」
とお答えしました。

 併せて「行中摂信さんは、あの本のどこが、聖人の教えと異なると
思われるのですか」
とも質問しました。
 以後、それに対する答えは頂いておりません。今からでも結構です。
お待ちしております。

 ただ、前に頂いた行中摂信さんの文章を読んでおりますと、しきりに、
「北陸のS会」を「新興宗教団体」と書いておられます。さらには、
「私は「歎異抄をひらく」を購入していませんし、今後も読む気もありません。
購入によって新興宗教団体に献金するとなると、親が悲しみます」
とも書かれていました。
(こんな調子の文章だったので、直接全文を掲載することは控えました)

 つまりは、最初から読んでもいない本について、あれこれ文句を言われていたのだ
ということが、分かります。そういう姿勢はいかがなものですかね。

 それにいまどき、北陸のS会を「新興宗教団体」などと呼ぶのは、
よほどのヘソ曲がりくらいで、本派の僧侶たちの中でも、あの会の発行する
書籍を読んで学んだり、勉強会に(平服でですが)参加したりして、いろいろと
啓蒙されている人も、少なからずあることは事実です。
 さらには、寺族の多くも、ましてや御門徒さんなどは、祖師聖人の教えを
求めて、S会の集まりにも参加しておられることは、否定しようがありません。
 やみくもに毛嫌いするのではなく、学べるところからは大いに学ぶ、
というのは、大切なことではないでしょうか。

「賢者は愚者からも学ぶ。
 愚者は賢者からも学ばず」

 とりわけ「長期低落傾向」と御門主も嘆かれる今日、過去の経緯にこだわって、
せっかくの学習と改善の好機を逸するのは、いかにも、残念だと、思いますがね。
管理人です 2008/08/11(Mon)13:36:09 編集
全文掲載を願います
全文掲載という私が求めていたかたちではないご返答であるため、スッキリしない部分が多少ありますが、

私の質問に対する管理人さんのお考えは頂戴できたと思います。

要するに、

①真宗僧侶であられる管理人さんは、高森氏及び北陸のS会の思想や活動に対して、全般的に「賛同」されている。

②真宗僧侶であられる管理人さんは、北陸のS会は「新興宗教団体」ではないと考えておられる。

③管理人さんがお知りになる限りでは、真宗僧侶が北陸のS会の勉強会に参加していることは事実として少なくない。

④真宗僧侶であられる管理人さんは、北陸のS会の教えは、親鸞聖人のみ教えとまったく異なることがなく、み教えに忠実であり、真実であると考えておられる。

⑤管理人さんは、これからの宗門や真宗僧侶は、もっと北陸のS会の話を聞いて勉強するべきであると考えておられる。

と、私は解釈致しました。
このような管理人さんのお考えに対して私が思うことは、

「管理人さんが本願寺派所属の僧侶である必要性はないのではないか?」「寧ろ僧籍を返上され、北陸のS会に入会し、会員として親鸞聖人の教えを宣布されたらよいのではないか?」ということです。

親鸞聖人のみ教えを多くの人々に正しく伝えたいという管理人さんの熱い思いを実現するためには、真宗教団の活動や思想への不満や苦言を述べている場合ではなく、管理人さんが支持されている北陸のS会の一員として、一人でも多くの方々に伝えたほうがよい気がするのですが?

また、「新興宗教団体」ではない、と言われますが、私の理解では「新しく興った宗教に携わる団体」でありますから、間違ってないと思いますが?

また、何故か「北陸のS会」を伏せ字を使わず団体名で記すと掲載してもらえないので、あえて管理人さんの表記に倣いましたが、「北陸のS会」という呼び名を用いるのに何か理由があるのですか?

それだけ支持されているならば、正式名称を用いるべきではないでしょうか?

あと、私が「歎異抄をひらく」を読まないことに不満を述べられ、読んでもないのに否定するな、と言われますが、私としては指南書を買うならば同派所属の著者の書物にするべきだと思っています。よって「歎異抄をひらく」に関わらず、自分の宗派以外の書物を買う気になれません。

それと、細かなことになりますが、全文掲載ではなく、要約として掲載されますと、私が言わんとしていることが不明瞭になりますし、「お前」など私が使っていない言葉を出されると、心苦しいです。どうか全文掲載お願い致します。

最後になりましたが、私は決して管理人さんと喧嘩をする気はありません。ただお考えを聞きたいだけなのです。そこのところを誤解されませんよう宜しくお願い致します。
行中摂信 2008/08/11(Mon)23:57:17 編集
答えます
行中摂信さんのご希望通り全文掲載しましたが、重大な錯誤から、順に答えます。
1.「歎異抄をひらく」は読んでないし、読む気もないとのこと。派内の本しか読まぬ、
 こんなことでは、極めて偏狭で、独善的な理解にならざるを得ません。
 世間の誤りを正し、真実を開顕することは仏法者の責務です。かくまでの本を読まず
 食わず嫌いに否定する愚は改めるべきです。少なくとも私は読んでから発言して
います。貴氏もそうすべきです。
 そんなにお金を払うのがイヤなのならば、立ち読みでもいいじゃないですか。
2.新しく興った宗教を「新興宗教」と言ったのだ、とのこと。苦しい言い訳です。
 新しくとは、何年前までを言うのですか。
 十年ですか。二十年ですか。比較すれば、八百年の浄土真宗も、天台・真言から
すれば「新興」といわれるでしょう。
 事実、宗祖が弥陀の本願を開顕されたときも、南都北嶺は「新興宗教だ」と
非難したのです。
 教えの正邪を、年数で定める愚は、笑止千万です。
3.僧籍を返上すべき、とのこと。私がどこにどんな籍を置こうが、私の自由です。
 貴氏にとやかくいわれる筋合いはありません。憲法でも保障された信教の自由です。
 それに、他派の集まりに参加したり、賛同したら、僧籍を返上せよ、門徒をやめよ、
と言い出したら、宗門から、どれほど多くの人が離れていくことか。
「出て行け」とか「出て行かないで」とか
 そんな愚を言いつのるより、自派の中で、多くの人が納得されるように正しい
宗祖親鸞聖人のみ教えを説けばよいではないですか。学ぶべきところからは派内、
派外を問わず学んで、急速に教学と布教を立て直さなければ、存続さえ危うく
なっていることに、まだ気がつきませんか。
4.そんなに布教したければ派外でやればよいではないか、本派のことをあれこれ
言うな、とのこと。邪を破り、真実を明らかにすることは、仏法者の使命です。
 派内、派外を問わず、正すべきは、正さねばなりません。どんなに誤っていても
見て見ぬフリをせよ、と言うのでしょうか。それじゃ、仏法者放棄ですよ。

 そのほかの瑣末な点は、この際、割愛します。

 最後に、改めて質問します。
「歎異抄をひらく」の内容の、どこがどう親鸞聖人の教えと異なる新興宗教なのですか。
 この点には、貴氏は一度も答えておられません。多くの人が注視しています。
 お答えをお待ちしています。
管理人です 2008/08/12(Tue)07:23:34 編集
まだでしょうか
 先日来おたずねしておりますが、行中摂信さん、お答えはまだでしょうか。
 「歎異抄をひらく」の内容の、どこがどう、宗祖親鸞聖人の教えと異なる
新興宗教だといわれるのでしょうか。

 親鸞聖人の教えを伝える宗教団体として正式に認証も受け活動している人たちを、
「いや、それは親鸞聖人の教えではない。新興宗教だ」と非難するからには、
それなりの根拠がなければなりません。
 でなければ、根拠もない、デタラメを言ったことになり、少なからぬ人々に
貴氏は大恥をさらすことになりますよ。

 また、あなたの問いに、もう一つ答えておきましょう。
 「親鸞聖人のみ教えを多くの人々に正しく伝えたいという管理人さんの熱い思いを実現するためには、真宗教団の活動や思想への不満や苦言を述べている場合ではなく、管理人さんが支持されている北陸のS会の一員として、一人でも多くの方々に伝えたほうがよい気がするのですが?」
 要するに、教団に文句言うな、外へ出て、教団以外の人に伝えよ、とのこと。

 親鸞聖人は、
「他力の信をえん人は 仏恩報ぜんためにとて
 如来二種の回向を 十方にひとしくひろむべし」
と仰せです。
 「十方にひとしく」の中に、「真宗教団」の人々は入らないのですか。

 聖人の名も知らず、関心もない人々よりも、聖人を慕い、今まさに、
教えを渇仰している真宗教団の人々に、先ず、正しい親鸞聖人のみ教えを
お伝えし、誤りを正していくことが、聖人のこのご和讃のみこころに反す
るとでも言われるのですか。

 また、「ひらかれた宗門」とご門主も仰せなのですから、その苦言や意見が
派内からであれ、派外からであれ、この際、関係ないでしょう。蓮如上人の
ような方でも、「もし私に誤りがあれば、カゲにでも言ってもらいたい」と
仰せではないですか。真宗教団というのは、いつから蓮如上人よりエラく
なったのですか。

 重ねて、お尋ねします。
「歎異抄をひらく」のどこが、親鸞聖人の教えと異なるといわれるのでしょうか。
 もし、異なっていれば、十数万といわれるこの本の読者にとって大問題です
から、責任もってお示しください。
 お待ちしています。
管理人です 2008/08/13(Wed)10:19:19 編集
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