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三業惑乱
瑞泉寺の門

 中外日報にも報じられているように、宗会にて、「三業惑乱
は、暗黒裁判だったという批判もある。歴史的に見直すことは
必要でないか」という質問があり、「慎重に」という答弁もあ
りました。
 せっかく、そういう問題提起がありましたので、その三業惑
乱について、見てきております。

 三業惑乱の発端は、越前を中心に、日本全国に広まっていた
「十劫安心」または「無帰命安心」といわれる異安心を正そう
としたところにありました。
 「十劫安心」を叩けば、自力の信仰の振り子は、反対側の、
「三業帰命」に振れるのです。
 ですから、「十劫安心」の異安心についても、よく知ってお
かねばなりません。

 これは、弥陀の十劫正覚、すなわち、法蔵菩薩が十劫の昔、
南無阿弥陀仏を成就して、阿弥陀仏となれらたことから、
「十劫の昔に、われわれはすでに助かってしまっているのだか
ら、今さら求めることも、聞き歩くこともいらない。死ねば、
みな極楽へ往生できるのだから、ご恩報謝のお念仏の生活を、
させていただきましょう」
というものです。

 すでに皆、助かってしまっている、という安心、信心ですが、
それは、たとえば、このような話を、聞いたことありませんか?

「コップにお水を入れる、いっぱい入った上にまだ注いだら
 こぼれます。最初のひとしずくがこぼれるということは、
 もうすでにコップにいっぱいのお水が入っているというこ
 となんだ。

  私の口から南無阿弥陀仏というお念仏がこぼれ出てくだ
 さっているということは、遠い遠い昔から南無阿弥陀仏と
 はたらいてくださった如来さまのお慈悲が、もうこの体に
 いっぱい詰まってしまってどこへも入りきらないようにな
 っているから、こぼれ出てくださってあるんやでと教えて
 くださいました。

  ですから、この口に南無阿弥陀仏と出てくださるとき、
 すでに阿弥陀さまのはたらきの中にあったと気づかしてい
 ただけたらと思います」
 (小林 顯英氏の法話より 
   大阪府法栄寺/本願寺派布教使
 2008年10月第1週「ともに居ますを佛という」)
原文はこちらで確認してください

 こんな話、小林氏だけでなく、他でもよく聞かれるのでは
ないでしょうか。
(つづく)
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