世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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三業惑乱、ちょっと閑話休題、といっても、大いに関係のある
話題ですので書きます。最近読んだ、以下の文章に、なるほど
いずこも現状はこうなのか、と思わずにおれませんでした。
非常に真摯にみ教えを求めておられた方のようで、そんな方に
こそ、宗祖の真の御心を、お伝えせねばならないのに、
このままではいかん!と、奮い立った次第です。
≪写真は、島根県のある無住の寺です≫
< 島根県に生まれ、仏法熱心な家庭で『正信偈』を聞き
ながら育ちました。
高校時代、仏教への関心から罪悪を知らされ、後生の
不安を感じるようになりました。
死んだらどうなるのか。その答えが知りたくて、京都
の龍谷大学の短大へ行くことに、決めたのです。将来は、
坊守(寺の住職の妻)になって、自らご法話を真剣に聞
き、参詣された方のお世話をしたい。そんな夢を抱いて
いました。
ところが大学の講義に、まず失望しました。『正信偈』
は、通り一ぺんの解釈だけで、帰命とは何か、分からな
い。魂に響くものがなく、生死の問題はハッキリしない
まま、すべて素通りしていきました。
クラブ活動は、浄土真宗の教えを多くの人に伝えよう
としている人が集まる伝道部に、迷わず入りました。
しかし、ふたを開けてみると、寺の跡取りで、嫌々来
ている学生がほとんどだったのです。「なんで寺に生ま
れたのか」「これからどうやって生活していこう」と、
いつも寺の愚痴をこぼしていました。真宗の実態を知っ
て落胆し、間もなく退部しました。
説教所である総会所や、大阪、奈良、滋賀などの別院
に通っても、念仏さえ称えておれば極楽へ往けるという
説教ばかりで、現在の明らかな救いは聞けません。
「死んだら極楽」と、ひたすら信じて、有り難そうに
念仏を称えている人もいましたが、何かしっくりこなく
て、なじめませんでした。
こんなハッキリしないものが、親鸞聖人の教えなのか。
それとも、浄土真宗はもう廃れてしまったのだろうかと
思い始めたのです。(つづく)>
全文は、こちらをどうぞ。
「龍谷大学でも聞けなかった一念」
話題ですので書きます。最近読んだ、以下の文章に、なるほど
いずこも現状はこうなのか、と思わずにおれませんでした。
非常に真摯にみ教えを求めておられた方のようで、そんな方に
こそ、宗祖の真の御心を、お伝えせねばならないのに、
このままではいかん!と、奮い立った次第です。
≪写真は、島根県のある無住の寺です≫
< 島根県に生まれ、仏法熱心な家庭で『正信偈』を聞き
ながら育ちました。
高校時代、仏教への関心から罪悪を知らされ、後生の
不安を感じるようになりました。
死んだらどうなるのか。その答えが知りたくて、京都
の龍谷大学の短大へ行くことに、決めたのです。将来は、
坊守(寺の住職の妻)になって、自らご法話を真剣に聞
き、参詣された方のお世話をしたい。そんな夢を抱いて
いました。
ところが大学の講義に、まず失望しました。『正信偈』
は、通り一ぺんの解釈だけで、帰命とは何か、分からな
い。魂に響くものがなく、生死の問題はハッキリしない
まま、すべて素通りしていきました。
クラブ活動は、浄土真宗の教えを多くの人に伝えよう
としている人が集まる伝道部に、迷わず入りました。
しかし、ふたを開けてみると、寺の跡取りで、嫌々来
ている学生がほとんどだったのです。「なんで寺に生ま
れたのか」「これからどうやって生活していこう」と、
いつも寺の愚痴をこぼしていました。真宗の実態を知っ
て落胆し、間もなく退部しました。
説教所である総会所や、大阪、奈良、滋賀などの別院
に通っても、念仏さえ称えておれば極楽へ往けるという
説教ばかりで、現在の明らかな救いは聞けません。
「死んだら極楽」と、ひたすら信じて、有り難そうに
念仏を称えている人もいましたが、何かしっくりこなく
て、なじめませんでした。
こんなハッキリしないものが、親鸞聖人の教えなのか。
それとも、浄土真宗はもう廃れてしまったのだろうかと
思い始めたのです。(つづく)>
全文は、こちらをどうぞ。
「龍谷大学でも聞けなかった一念」
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