世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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季節のスナップを1枚、嵐山、渡月橋の桜です。キレイですね。
さて・・・、
先週の「みほとけとともに 西本願寺の時間」では、岐阜県蓮敬寺の
本願寺派布教使、高田 篤敬氏でした。
題は、「おいしいね」。
これからして、意味不明なのですが、例によって、親鸞聖人のお言葉
を提示されることもなく、取り上げられたのは、亡きお父様の言葉で、
「おいしいものを食べる人は多くいるが、大切なのは、
おいしくものを食べることだ。
一字違うだけだが、大違いだ」
さて、延々とこの言葉について、演繹されていますが、最後まで、この
お言葉と、親鸞聖人の教えとの関連は、不明でした。
きわめつけは、最後のほうの、コレです。
「阿弥陀さまの願いにつつまれていることを、感じあえる、
笑顔につつまれた家庭にしましょう」
「願いにつつまれている」とは、すでに十八願に摂取せられているという
ことなのか、まだ至心信楽の身に救われてはいないが、十九願、二十願の
お育てにあずかっている、ということなのか。
「金剛堅固の信心の 定まる時をまちえてぞ
弥陀の心光摂護して ながく生死をへだてける」(親鸞聖人)
「平生の一念によりて、往生の得否は定まれるものなり」(覚如上人)
「たのむ一念のところ肝要なり」(蓮如上人)
一念で金剛堅固の信心が定まったか、どうか。
そのかんじんなところを、ウヤムヤにしたままで、明るい家庭、笑顔の
家庭といっても、それでは、浄土真宗にはならないのではないでしょうか。
さて・・・、
先週の「みほとけとともに 西本願寺の時間」では、岐阜県蓮敬寺の
本願寺派布教使、高田 篤敬氏でした。
題は、「おいしいね」。
これからして、意味不明なのですが、例によって、親鸞聖人のお言葉
を提示されることもなく、取り上げられたのは、亡きお父様の言葉で、
「おいしいものを食べる人は多くいるが、大切なのは、
おいしくものを食べることだ。
一字違うだけだが、大違いだ」
さて、延々とこの言葉について、演繹されていますが、最後まで、この
お言葉と、親鸞聖人の教えとの関連は、不明でした。
きわめつけは、最後のほうの、コレです。
「阿弥陀さまの願いにつつまれていることを、感じあえる、
笑顔につつまれた家庭にしましょう」
「願いにつつまれている」とは、すでに十八願に摂取せられているという
ことなのか、まだ至心信楽の身に救われてはいないが、十九願、二十願の
お育てにあずかっている、ということなのか。
「金剛堅固の信心の 定まる時をまちえてぞ
弥陀の心光摂護して ながく生死をへだてける」(親鸞聖人)
「平生の一念によりて、往生の得否は定まれるものなり」(覚如上人)
「たのむ一念のところ肝要なり」(蓮如上人)
一念で金剛堅固の信心が定まったか、どうか。
そのかんじんなところを、ウヤムヤにしたままで、明るい家庭、笑顔の
家庭といっても、それでは、浄土真宗にはならないのではないでしょうか。
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