世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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先日来、書いておりますWebTV「お坊さんが行く」の中で、
「ご法話を聞くときは、できるだけ正座で」と言っています。
これは、まことにその通りです。
「たとい大千世界に
みてらん火をもすぎゆきて
仏のみ名をきく人は
ながく不退になかうなり」
と宗祖も仰せの通り、真剣に聞かせていただくには、やはり
正座だと思います。
しかし、実際は、ご本山の聞法会館はじめ、各地の別院も
ほとんど椅子席で、正座で聞く人は、ほとんどないのでは、
と思います。
もちろん、身体的な都合で、椅子でなければならない方も
おられましょう。
しかし、そういう方ばかりではないはずで、ただ寺に行っ
たらみな椅子に座っていたので、いつしか椅子が当たり前に
なった、ということではないでしょうか。
こちらは、富山県高岡市伏木の勝興寺の様子が、動画で紹介
されていたものです。
これでも、やはり正座している人は、見かけません。
皆さんは、どう思われますか。
「ご法話を聞くときは、できるだけ正座で」と言っています。
これは、まことにその通りです。
「たとい大千世界に
みてらん火をもすぎゆきて
仏のみ名をきく人は
ながく不退になかうなり」
と宗祖も仰せの通り、真剣に聞かせていただくには、やはり
正座だと思います。
しかし、実際は、ご本山の聞法会館はじめ、各地の別院も
ほとんど椅子席で、正座で聞く人は、ほとんどないのでは、
と思います。
もちろん、身体的な都合で、椅子でなければならない方も
おられましょう。
しかし、そういう方ばかりではないはずで、ただ寺に行っ
たらみな椅子に座っていたので、いつしか椅子が当たり前に
なった、ということではないでしょうか。
こちらは、富山県高岡市伏木の勝興寺の様子が、動画で紹介
されていたものです。
これでも、やはり正座している人は、見かけません。
皆さんは、どう思われますか。
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無題
お久しぶりです
年配の方は正座をするのが大変なのではないでしょうか、若い方も今日では椅子の生活ですから
正座はなじめないのではないでしょうか?
インドでお釈迦様がご説法されていたときもみんな正座をして聞いていたのでしょうか?
あまり想像できません。
その辺は時代や文化に合わせていったらいいのではと私は思います。
年配の方は正座をするのが大変なのではないでしょうか、若い方も今日では椅子の生活ですから
正座はなじめないのではないでしょうか?
インドでお釈迦様がご説法されていたときもみんな正座をして聞いていたのでしょうか?
あまり想像できません。
その辺は時代や文化に合わせていったらいいのではと私は思います。
一般人さん有り難うございます
コメント有り難うございます。
前回の方と同じでしたら、こちらこそ、お久しぶりです。
ご意見、拝読しました。
正座になじめない方も多くおられることも、よく分かります。お釈迦さまの時代については、
なるほど、インドで正座の習慣があったとは聞きません。
ですが、インドはインドなりに、真剣に聞けるような姿勢で聞いておられたと想像します。
真剣に、仏法を聞かせていただくには、どうすべきか。
この点、多くの皆様のご意見を、お聞きしたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
前回の方と同じでしたら、こちらこそ、お久しぶりです。
ご意見、拝読しました。
正座になじめない方も多くおられることも、よく分かります。お釈迦さまの時代については、
なるほど、インドで正座の習慣があったとは聞きません。
ですが、インドはインドなりに、真剣に聞けるような姿勢で聞いておられたと想像します。
真剣に、仏法を聞かせていただくには、どうすべきか。
この点、多くの皆様のご意見を、お聞きしたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
あぐらより正座かな
横から、すみません。
前に、あぐらかいて、聞いたことがあったんですが、腰が痛くて、長時間は無理でした。そこで、剣道やってたんで、正座しなおしてみたら、割と楽で、腰も痛くならなかったです。
イスだと、背もたれってやつがあって、ウトウトしちゃいそうで、あ、そんなことじゃダメですね。
「真剣に聞く」には、どうするか、ですから。
だから、絶対イスがダメとはおもいませんが、あぐらよりも、正座かな、って思います。
門外漢で、すみません。
前に、あぐらかいて、聞いたことがあったんですが、腰が痛くて、長時間は無理でした。そこで、剣道やってたんで、正座しなおしてみたら、割と楽で、腰も痛くならなかったです。
イスだと、背もたれってやつがあって、ウトウトしちゃいそうで、あ、そんなことじゃダメですね。
「真剣に聞く」には、どうするか、ですから。
だから、絶対イスがダメとはおもいませんが、あぐらよりも、正座かな、って思います。
門外漢で、すみません。
正座は痛い!
ほんの通りすがりです。
そりゃ、真剣に聞くのなら、正座がいいと思います。
でも、慣れないと、痛い!
この前も、親戚の法事で、セレモニーホールならイスだからいいなと思ってたら、
お寺さんだったので、正座でした。
で、お経も長かったので、足が痛くて、大変でした。
正座するには、ちょっと慣れることが必要だと思った。
そりゃ、真剣に聞くのなら、正座がいいと思います。
でも、慣れないと、痛い!
この前も、親戚の法事で、セレモニーホールならイスだからいいなと思ってたら、
お寺さんだったので、正座でした。
で、お経も長かったので、足が痛くて、大変でした。
正座するには、ちょっと慣れることが必要だと思った。
茶道の視点から
茶道歴10年です。正座の世界である茶道では、明治時代に「立礼式」というイスとテーブルでの点前ができました。いまでは、ホテル会場などでの茶席に立礼が活用されています。立礼ができたことで、茶室には敷居が高くて参加しにくい人にもお茶を差し上げる場ができました。本式には、やはり和室での茶会ですが、まずはイスに座って抹茶を飲んでもらうことで、茶の雰囲気を知ってもらうのに便利です。
聞法の場でのイスというのも、こうした視点で見ることができるかなと思いました。
聞法の場でのイスというのも、こうした視点で見ることができるかなと思いました。
聞く側も真剣に
聞く側にも、法話をする僧侶をきたえるくらいの意識が肝要だと思います。真向勝負な法話をすれば、聞くほうも自ずからピッと背が伸び、カッと目の開くと思うのです。極端な言い方をすれば、正座して聞く気もおきないような、ボソボソと何を言っているか、よう聞こえん話をする僧には、容赦なくあくびをしてやるくらい、真剣に法を聞きに行く気持ちが必要だと思います。
ちょうど、昔の高座で、一番まん前に座りながら下手な噺家のときにはわざと居眠りをする厳しい客がいたように、住職を鍛えることは門徒の義務と思うことも大事かなと考えます。
私、法話のときはたいていまん前に座りますが、一度だけ、ホントに寝てしまったことがあります・・・。いや、あまりに支離滅裂な話だったもんで・・・
ちょうど、昔の高座で、一番まん前に座りながら下手な噺家のときにはわざと居眠りをする厳しい客がいたように、住職を鍛えることは門徒の義務と思うことも大事かなと考えます。
私、法話のときはたいていまん前に座りますが、一度だけ、ホントに寝てしまったことがあります・・・。いや、あまりに支離滅裂な話だったもんで・・・