世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「みほとけとともに 西本願寺の時間」
沖井智子氏の担当でしたが、またしても、沖井さんの気持ちと裏腹に、
原稿監査をした上層部は、トンデモ解釈をブチ上げてくれた。
「百重千重囲堯して よろこびまもりたもうなり」(親鸞聖人)
(ホントは、堯は、いとへん)
この宗祖のお言葉を挙げ、「信心正因 称名報恩」の、真宗の核心に迫ろう
としていたのに、またまた原稿を大変更させている。
私たちがお念仏称えれば、諸仏がたは、喜んで守って下される、というのだ。
ここで諸仏が護って下さる、というのは、教行信証信巻に詳述されている、
現生十種の利益の一つ、「諸仏護念の益」のことである。
しかし、その段をとくと読まれるがよい。
「金剛の真心を獲得するものは、横に五趣八難の難を超え、現生に必ず
十種の利益をうる」
と、真実信心を弥陀より賜った人は、と、明言されているのだ。
未信の人でも、念仏称えたら、諸仏が護念して下されるのではない。
ここに、原稿監査した上層部の、すり替え、ごまかしがあるのだ。
沖井さんは、だからこそ、その「真実の信心」に迫ろうとして、「信心
正因」のお言葉を持ち出しているのに、そこから原稿は、急激におかしな
方向へカーブを切る。
沖井さんは、「阿弥陀さまからいただく念仏」と言われ、他力回向のご信心
であり、他力回向のお念仏であることを、言わんとされるのに、上層部は、
ここも、スルリと横道へそれる。
聞いている人は、「阿弥陀さまからいただく念仏と、そうでない念仏とは、
どこがどう違うのですか」という点を、聞きたいのだ。
沖井さんは、それを「信心正因」と切り込もうとしていたのに、パスさせた
のだ。何とも、罪深い、上層部である。
本派の若き布教使諸君よ、こんな歪曲を、いつまでも許しておれましょうや。
沖井智子氏の担当でしたが、またしても、沖井さんの気持ちと裏腹に、
原稿監査をした上層部は、トンデモ解釈をブチ上げてくれた。
「百重千重囲堯して よろこびまもりたもうなり」(親鸞聖人)
(ホントは、堯は、いとへん)
この宗祖のお言葉を挙げ、「信心正因 称名報恩」の、真宗の核心に迫ろう
としていたのに、またまた原稿を大変更させている。
私たちがお念仏称えれば、諸仏がたは、喜んで守って下される、というのだ。
ここで諸仏が護って下さる、というのは、教行信証信巻に詳述されている、
現生十種の利益の一つ、「諸仏護念の益」のことである。
しかし、その段をとくと読まれるがよい。
「金剛の真心を獲得するものは、横に五趣八難の難を超え、現生に必ず
十種の利益をうる」
と、真実信心を弥陀より賜った人は、と、明言されているのだ。
未信の人でも、念仏称えたら、諸仏が護念して下されるのではない。
ここに、原稿監査した上層部の、すり替え、ごまかしがあるのだ。
沖井さんは、だからこそ、その「真実の信心」に迫ろうとして、「信心
正因」のお言葉を持ち出しているのに、そこから原稿は、急激におかしな
方向へカーブを切る。
沖井さんは、「阿弥陀さまからいただく念仏」と言われ、他力回向のご信心
であり、他力回向のお念仏であることを、言わんとされるのに、上層部は、
ここも、スルリと横道へそれる。
聞いている人は、「阿弥陀さまからいただく念仏と、そうでない念仏とは、
どこがどう違うのですか」という点を、聞きたいのだ。
沖井さんは、それを「信心正因」と切り込もうとしていたのに、パスさせた
のだ。何とも、罪深い、上層部である。
本派の若き布教使諸君よ、こんな歪曲を、いつまでも許しておれましょうや。
PR
この記事にコメントする