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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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 昨日の続き、機関紙「安穏」について。
 定期宗会でもう一つ問題になったは、広告が掲載されている
「あんのん保険」のことでした。
  「宗門が運営しているような錯覚を与える」
  「なぜこの一社しかないのか」
  「このままでは門徒の皆さんにこの機関紙を配れない」
などなどの、批判が出ました。
 
 でも、ちょっと待ってよ。
 この「あんのん保険」の広告は、別に「安穏」に初めて掲載
されたのではありません。
 すでに「本願寺新報」には、仏壇店、法衣店などの広告に
まじって、広告が掲載されています。
 宗会の議員のみなさま、ご存知なかった?
「新報」に掲載された時には、誰も問題にしなかったの?
 もしかして、「本願寺新報」なんて、読んでいないとか?
 宗会の議員先生さえ、読んでいない「本願寺新報」だとした
ら、こりゃ、余りに情けない?
「安穏」が「これじゃ門徒に配れない」のなら、「本願寺新報」
だって、配れない、のではありませんか?
 それに、この保険会社、あまり名前を聞かない会社なのですが、
その経営母体は、どこ?もしかして、宗門の誰かが、役員として
関わっているから、これだけの特別扱いなの?
 これら一連の批判を浴びても、少しも引っ込める気配がないの
は、何か背景があるのでは?

 などというような、???がいっぱい出てきます。
 このあたりの事情、宗門の貴公子こと、吉村隆真師、あざやかに
解説していただけると、有り難いのですが。

 もっとも詳細を見てみると、この保険、さほど条件のよい内容
とはいえない気がしますけどね。おっと、あまりそれを書くと、
営業妨害に当たるのかな。失礼致しました。
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「安穏」の意味
親鸞聖人が「安穏」を、どのような意味で使われているか、もっとよく考えるべきだと思いますね。

そもそも、「安穏」の出所は『親鸞聖人御消息』第25通なのですが、そこには以下のようにあります。

往生を不定におぼしめさんひとは、まづわが身の往生をおぼしめして、御念仏候ふべし。わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために、御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ。よくよく御案候ふべし。このほかは、別の御はからひあるべしとはおぼえず候ふ。

つまり、「世の中安穏なれ」と願うのは、あくまで「往生一定」となった念仏者が、御恩報謝であると親鸞聖人は言われているのであり、「往生一定」でない人は、まず我が身の往生が定まるようにしなさい、とのお勧めであると拝します。

「安穏」のスローガンの説明は、西本願寺のサイトの
http://www2.hongwanji.or.jp/daionki/sl_slogan.htmlにあるのですが、結局「往生一定」については言及されておらず、あくまで一般論に迎合したあたりさわりのない説明となっているのが、極めて残念でなりません。

「安穏なれ」と願う前に、門徒一人一人が自身の往生を問うべき機会が、宗祖750回忌法要であるべきだと思うのです。でなければ、残念ながら浄土真宗の法要とは言えません。
真宗教義の主体は、世界平和を願うことではない筈です。「世の中安穏なれ」のスローガンが一人歩きしていて、まるで街中でよく見る「世界人類が平和でありますように」と同じ類いのものと見られてしまいそうです。
のんのん 2007/11/19(Mon)00:11:23 編集
往生浄土の一大事
のんのんさん、コメント有り難うございました。
仰せの通り、往生一定の身に救い摂られた人が、
報恩のため、広く世の人々に、弥陀の本願が広まり、
等しく往生一定の身に救われて欲しい、という
願いが「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」との
宗祖のお言葉です。

 ところが、その往生浄土の一大事を、現在の宗門で
ほとんど問題にされることがないのは、どうした
ことでありましょうか。
「十劫の昔に、すでに助かってしまっている」という
蓮如上人も厳しく破邪された十劫安心の異安心に
現在の宗門が、毒されているからではないでしょうか。

先日のラジオ法話でも話されていた通り、
「真実の信心をたまわった人だけが、死んで
浄土に
往生できる」のであって、しかし、そのかんじんの
「真実信心」が、まったく教えられていないから、
「往生浄土」の身になれたかどうかも、問題
にされない。

 この問題を、厳しく問い直す「大遠忌」としてこそ、
祖師の御恩に報いる道ではないでしょうか。
 私ごときが、偉そうに言って申し訳ないですが、
宗門の皆さん、どう思われますか。
管理人です 2007/11/19(Mon)09:50:03 編集
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