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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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キッズサンガ 【浄土真宗本願寺 空知北組 青少年部】

こどもたちに、親鸞聖人の教えを伝えたいと、各地で活動している
キッズサンガですが、そのブログの一つです。

2月28日は、アカデミー賞受賞映画「おくりびと」についてでした。
中に、こんな一文があります。

「さて23日から3日間、光明寺永代教法座でした。ご講師は
 青木円成先生でした。「おくりびと」、ごらんになられていたそうです。
  ご法話は往生浄土についてお話いただきましたが、少しこの映画に
 ついて触れられました。
  映画の最後が、「またあえるせかいがある」ということば(テロップで
 しょうか)で終わっていたそうです。この尊い言葉を深く味わうお話
 を戴きました。  
 私たちが大切にお伝えしている言葉ですね。」

 


 映画としては、「またあえる世界」というのが精一杯だったのでしょう。
ここで「私たちがお伝えしている」といわれているのは、他でもない、
浄土真宗本願寺派のことです。
 本派では、この「世界」を「阿弥陀仏の極楽浄土」と教えられています。

 では「またあえるせかいがある」とは、どういうことになるのか。
 「弥陀の浄土がある」ことはその通りだが、そこにすべての人が、必ず
往けるのか、どうかには、今しばらく、聖人の教えを聞かせて頂かねばな
らない。なぜなら、宗祖は大経の「易往而無人」を

「易往而無人というは、易往はゆきやすしとなり、本願力に
 乗ずれば本願の実報土に生るること疑なければ往き易しと
なり、無人というは、ひとなしという、ひとなしというは、
真実信心の人はありがたき故に、実報土に生るる人まれなり
となり」(尊号真像銘文)


とおっしゃっているからだ。誰でも彼でも、死ねば浄土へ往けるのでは
ないことを、知らねばならない。
聖人の曾孫、覚如上人は、

「しかれば平生の一念によりて往生の得否は定まれるものなり。
 平生のとき不定の念に住せばかなうべからず」(執持抄)


と仰せである。平生、弥陀の本願を聞信する一念に、往生一定とハッキリ
する。死んで極楽へ往けるかどうかは、今、弥陀の本願に救い摂られて
いるかどうかで決まるのである。

 その大事なところを、まったく触れないままで、「またあえる世界が
ある」としか伝えなければ、聖人の教えを伝えたことにはならない。
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1960/10/31
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