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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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 昨日、紹介した青木新門氏は、臨済宗妙心寺派の研修会で
いろいろと語っておられたようで、そのようすが中外日報に
も、紹介されていました。
 実はその研修会において、先日書きました「お経がBGM
になってしまっている」というような問題提起があったので
した。

 さて、その青木氏の『納棺夫日記』ですが、第一部、第二
部は、納棺をなさってこられた経験談があり、それはそれで、
さまざまな経験があったのでしょう。
 今、見ておかねばならないのは、第三部で、ここに青木氏
は、釈尊の経典や、親鸞聖人のお聖教から、いくつか言葉を
抜き出して、自分なりの解釈をなさっているようで、これは
いかがか、と思うようなところもあります。
 死を前にして、光にあう、というようなところ、親鸞聖人
は、臨終の相と、後生とは、全く関係ないとおっしゃってお
られるのですが、どうしても臨終のすがたを問題にしてしま
うのですね。納棺のお仕事だから、日々、臨終のすがたに
接しておられるわけで、それゆえでしょうが、ハッキリさせて
おかねばなりません。

 臨終の相と、後生とは、何の関係もないと、
親鸞聖人は仰せです。



■後生は、有るのか、無いのか。
 親鸞聖人の正信偈には、
「龍樹大士出於世 悉能摧破有無見
 宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽
 顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽」
 龍樹菩薩のなされたこととして、ほめたたえておられます。

 有無の見、即ち、有の見とは常見外道、無の見とは断見外道
そのいずれも義であるので、ことごとくうちられた。
 難行道の仏教は凡夫にはさとりがたい道であることと、易行
道の仏教こそは、すべての人が助かる道であり、釈尊の意で
あることを、示された。
さすがは、龍樹菩薩である、と仰せであります。

 このように親鸞聖人は、生涯、弥陀の本願に反する邪義を破り
大聖興世の正意を顕かにしていかれた方でありました。

(一般人さん、正信偈のお言葉でも、まだ不足ですか!?)
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無題
いつも、ブログ拝見させてもらっています。
『納棺夫日記』文庫版ですが読みました。
納棺夫なので臨終という場面の話が多いですよね。
ただ、文庫版でいうとP122あたりなどでは臨終に限らず生死を受け止めた人として詩人の例などが挙げられています。
必ずしも臨終に限っているのではなく、たまたま多くの人は臨終や闘病など本当に死が迫ったときにしかひかりにあいにくいという意味ではないでしょうか。
私はこの本を読んで真宗のみ教えというものをより深く味わえたと思ってしまったので、肩をもった偏った読み方かもしれませんが。
読者 2009/02/27(Fri)09:32:06 編集
生死の一大事について
「読者」様、コメント有難うございます。
また、いつも当ブログをご覧いただき、恐縮です。今後とも、よろしくお願いします。

 さて、浄土真宗では「生死の一大事」または「後生の一大事」と言いまして、
その解決が聞法求道の目的であります。

「されば人間のはかなきことは、老少不定のさかいなれば、誰の人もはやく
後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて念仏申す
べきなり」(蓮如上人「白骨の御文」より)

阿弥陀仏に何を助けていただくのか、といえば、この後生の一大事であると
仰せです。これが抜けてしまっては、親鸞聖人の教えは、毛頭分かりません。

「たとい大千世界に みてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名をきくひとは ながく不退にかなうなり」(親鸞聖人「浄土和讃」)

なればこそ、火の中をかきわけて、仏法は聞きなさい、と教えておられるのです。

 残念ながら、その後生の一大事、生死の一大事については、青木氏のご本でも、
今回の映画でも触れられておりません。
 しかしながら、それは、文学、映画というメディアでは致し方ないところでしょう。
 これをお伝えするのは、私たち仏法者、親鸞学徒の使命であり、責務であると
思っております。

 今後とも、どうぞよろしくお願いします。
管理人です 2009/02/27(Fri)09:47:03 編集
無題
火の中をかきわけて、仏法は聞きなさいとは
どういう意味でしょうか?
具体的に教えてください。
一般人 2009/03/05(Thu)22:41:27 編集
火の中を分けても
親鸞聖人は、
「たとい大千世界に みてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名をきく人は ながく不退にかなうなり」(浄土和讃)

 火の中をかき分けて、仏法を聞きなさい、と教えられています。
 その親鸞聖人の教えを、そのまま伝えて行かれた蓮如上人は、
「火の中を 分けても法は 聞くべきに
  雨風雪は もののかずかは」
とおっしゃっています。
 今日は雨が降っているから、聞法はやめておこうかなとか、
今日は雪が降っているから、遠慮しようとか、つい思いがちです。
 しかし、火の中かき分けてでも聞かねばならないのに、
雨や風や雪など、もののかずではありませんよ、と教えられて
いるのです。
 
 香樹院師は、また、
(1)骨折って聞け(苦労して聞きなさい)
(2)衣食忘れて聞け(真剣に聞きなさい)
(3)間断なく聞け(続けて聞きなさい)
(4)どうしても聞けない時は今まで聞いた
   ことを思い出せ
というようにも、教えられています。
 このように、真剣に聞きなさいよと、善知識かたは教えてくださっています。


 あの・・・、

 念のために申しておきますが、聞法道場に放火して、火事を起こして、
その中で聞く、というような、馬鹿なことは想像されませんように。
 前に「切り刻みても飽くかよ」とのお言葉を紹介したら、刃物で
切り刻むのですか、それじゃ脅迫か、犯行予告じゃないですか、と
とんでもないカン違いをされた人がありましたので、念のため。
管理人です 2009/03/06(Fri)10:29:59 編集
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