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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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 過日の中外日報の記事より。
 僧侶の研修会で、葬儀・法要の現状を分析し、これから
どうやっていくべきか、という話がなされました。
「葬儀に、仏法の色合いが少なくなり、単に亡くなった人
とのお別れの会、となっている」
「葬儀・法要が、伝道の場となっていない」
「すでに、僧侶不在の、葬儀も多い」(これは、創価学会
の友人葬のことか)
「葬儀だけ依頼され、その後、檀家になられるわけでもない」
「読経が単なるBGMになってしまっている」

 最後の、「読経がBGMに」というのは、残念な現状です。
本来、釈迦牟尼世尊のご説法を、書き記したお経を、心静かに
拝読し、拝聴し、その後の法話の時間に、仏意を聞かせて頂く
のが、法要の意味ではなかったでしょうか。

 単なるBGMになってしまったのは、嘆くべきことですが、
じゃあ、読経する僧侶の側に、「この経典の仏意を、皆さんに
お伝えしなければ」という熱意が、あったのか。
 ただ読経して、挨拶をして、終わり、という形式的に、すで
にして僧侶自身が、なってしまっていたのではないか、と、
記事を読みながら、思ったのでした。
 いかがでしょう?
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