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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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アカデミー賞をとった『おくりびと』、28万部売り上げたと
いわれる『悼む人』などを取り上げて、「死と生をみつめて」
というタイトルで、放映された、昨晩のクローズアップ現代、
皆さん、ご覧になりましたか?

中で、中沢新一さんが、こんな発言をしています。

「日本人には、もともと最低で、最高のセイフティー・ネット
が用意してあって、誰でも亡くなると、そのネットが受け入れて
くれるという安心感があった。
 それは、阿弥陀様とか、いろんな言い方で表現していたもので、
この存在の世界では、そのセイフティー・ネットが、最低の
ところにある。
 ところが、最近では、そういうものがなくて、セイフティー・
ネットといっても、経済的なものとして、セットしてある。
 それを越えて、その底を突き抜けた時に、何か受け入れて
くれるものがあるだろうか、そういうところまで、現代は、
切迫していると思います。」


 現代において、死をまじめに見つめる、後生を見つめると
いうことは、すっかり忘れられている、という認識には賛同
します。いっぽうで、「阿弥陀さま」云々とのところは、さて、

「親鸞聖人は、どこにそんなこと、おっしゃっていますか」

と訊かずにおれません。死ねばすべての人を、阿弥陀仏という
セーフティ・ネットが受け入れてくれる、つまり、死んだら、
みんな阿弥陀仏に救われる、ということでしょうか。
 そんなことを、どこに親鸞聖人がおっしゃっているのか。

「もしまたこのたび、疑網に覆蔽せられなば、かえりてまた
 曠劫を経歴せん」(教行信証総序)

「ひとたび人身を失いぬれば、万劫にもかえらず。この時
 悟らざれば、仏、衆生をいかがしたまわん。願わくは深く
 無常を念じて、いたずらに後悔を残すことなかれ」
         (教行信証行巻)


 平生に、信心獲得しなければ、未来は一大事であることを、
警告しておられる、親鸞聖人のお言葉です。

「真実の信心をえたる人のみ、
 本願の実報土によく入ると知るべし」(尊号真像銘文)

「信心を決定せずば、今度の往生は不定なり」(御文章)

 誰も彼もが、死ねばみな、極楽へ救われるのではない、
平生に、信心獲得した人だけが、極楽へ行けるのだ、繰り
返し、親鸞聖人も、蓮如上人も、仰せであります。
 その点、中沢氏の言うようなことの根拠は、私の勉強不足
かも知れませんが、見出すことはできませんでした。
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中沢氏の発言は・・・
私もこの放送を見たのですが、少し時間が経ってしまい逐一の発言までは憶えていません。(再放送しないですかね)

さて、阿弥陀様というセーフティネットが云々という中沢氏の発言ですが、それをもって親鸞聖人の教義を曲げているというものでもないでしょう。

中沢氏の発言の根拠は、まさに真宗信心の受け手としての民衆の意識を指しているんじゃないでしょうか。民衆にとって信心獲得が徹底されてきたとは思えないし、平生業成といわれながらも、至極短絡的な現世利益として如来の絶対の救いを了解してきたのが真宗の民衆にとっての歴史だったと思います。
だからこそ、江戸宗学における三業安心の問題や、結果として保守的な教学理解が蔓延し、今日まで続く葬式仏教の土台を形成してきたのでしょう。

中沢氏が親鸞聖人の真意義を曲げているのではなく、むしろセーフティネットと言い換えることで鋭く真宗の社会的位置を言い当てていると思うのですがいかがでしょうか。
KT 2009/03/16(Mon)13:58:26 編集
阿弥陀仏と浄土について
KTさん、コメント有難うございました。
中沢氏の発言が、親鸞聖人の教えを曲げたとは、私、書いておりません。
「阿弥陀仏は、すべての人を、死ねば救ってくだされる」などと、
誰が、どこに、教えられていますか、と問題提起したのです。
別に、親鸞聖人だけでなく、源信僧都でも、源空上人でも、けっこうです。
あるいはさかのぼって、釈迦如来でも、けっこうです。
どこかに、おっしゃっていますか。

いや、どこかの祖師が教えたというのではなく、民間にはそう信じられていた、
ということが言いたかったのだ、と氏は言われるかも知れません。

しかし、民間にそう信じられていた、といえるでしょうか。
むしろ、浄土真宗の歴史を見れば、富山県・赤尾の弥七(のちの道宗)は、
「後生の一大事、油断あるまじきこと」
と警鐘を乱打しましたし、四国・讃岐の庄松同行は、
「今宵、後生へ出かける覚悟はよいか」
と、法主に問いただしたとも言われます。

民間にも、「死ねば、誰もが、極楽へ往けるのではない。真実信心を獲得
した人だけが、往生できるのである」
と知らされ、真剣に聞法していたのです。

あの番組を見て、「阿弥陀仏という仏は、そういう方だったのか」と
誤解する人が出るのを恐れて、ささやかながら当ブログで警告として
掲載したのであります。

もっとも、中沢新一なる人物が、どの程度、世間から信用されているか、
例のオウム事件の前後のことをご存知の方ならば、
「なーんだ、アイツかよ」
と、一笑に付すかも知れませんがね。
為念。
管理人です 2009/03/17(Tue)13:37:47 編集
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