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世界の光・親鸞聖人の教えを世界に! 夢は大きく、現状には厳しい目を!
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 住職のつれづれ日記というブログがあります。
 福岡の熱心なご住職が運営しておられます。
 10月22日の文中に、次のように書かれていました。

    「うちの門徒、よその門徒」という閉ざされた思考では
     このような形態はとても無理であろう。
      ご門徒は親鸞聖人のご門徒であって、そのご門徒を
     たまたまお預かりしているのが各寺院であることを
     忘れてはならない。」

 仰せの通り、御門徒は、如来聖人からお預かりしており、一人残らず、
お浄土へ導くのだぞ、と、重大な責任を任されていること、教化に当たる
者は、ゆめゆめ忘れてはならないでしょう。決して私の弟子、というよう
なものではないのです。

   「専修念仏のともがらの、我が弟子、人の弟子、という
    相論の候らんこともってのほかの次第なり。
    親鸞は弟子一人も持たず候」(『歎異抄第6章』)

と親鸞聖人も厳しく戒められたことが記されています。
「あれは、私の弟子だ、あれはあの人の弟子だ」という争いが、当時あった
ことを、嘆かれてのお言葉ですが、今日でも、あれはウチの門徒、あれは
隣の門徒、という分け隔てが有りはしないでしょうか。
 ご縁有ってお参りされたならば、弥陀の願心をあやまたず伝えなければ
ならない責任があります。
 「親鸞は弟子一人も持たず」の御心については、『世界の光 親鸞聖人 完結編』にも出てますし、
『親鸞聖人に本当に弟子はいなかったのか』にも書いてあります。

「住職つれづれ日記」では、他の寺院の皆さんとの交流が種々書かれています。
 ご住職は福岡、長崎、そのほか、各地を東奔西走で、けっこうお忙しいようです。
いつも楽しく読ませてもらっています。
 
 なお一件だけ、ちょっと気になったことを。
 9月26日の文中、「薬ありとて毒を好むべからず」との引用があります。
 歎異抄13章の御文からでしょうが、そこには「御消息に」との前書きが
ありますけれども、実は、親鸞聖人の御消息にはないお言葉です。
 末灯鈔21「放逸無漸なるまじき事」の中には、
「「薬あり、毒を好め」と候らんことは、あるべくも候はず」
このように宗祖は書かれています。
 この二つ、全く違いますよね。
 ご住職ならば、お分かりになると思います。
 たしかに歎異抄が有名ではありますが、宗祖直筆ではありませんので、
せっかくの引用であれば、末灯鈔のほうをされたらいかがかと思いました。
 いえ、勝手なことを口をはさみまして、失礼の段、お許し下さい。
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1960/10/31
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