世界の光・親鸞聖人の教えを世界に!
夢は大きく、現状には厳しい目を!
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昨日、「みほとけとともに 西本願寺の時間」について書きました。
ついでに、その過去の記録を見てみたら、あれれ、9月の佐々木義信氏
までは一人が2回、話を担当していましたが、10月に入ってからは、
一人が1回だけになっていますね。
どうしてかなあ?
スタジオを押さえ、出演者を呼び、せっかく録音をするのならば、
2回分、収録したほうが効率がいいのに。
しかも、これまでの話は、何となく、2回聞いてようやく話がつなが
るというか、一セットという内容になっていました。佐々木氏のでも、
「浄土真宗の生活信条1、2」という構成になっていました。
それが、一人1回、ということは、話の中身がなくなってきたからか。
聞かせる話題がないからか。「同じ話だ」と言われるのがいやなのか。
そんなことさあ、気にせずにどんどん話すればいいんですよ。
同じお言葉であっても、宗祖のお言葉を出して、繰り返し話をすれば
いいじゃないですか。
「また、あの話か」というような聞き方をするのが、間違いなのです
から。
「初事、初事、と、聞かねばならない」と蓮如上人も仰せではないですか。
同じ話だからなあ、などと躊躇しているのは、自分の影におびえてい
るのです。自分も、そんな聞き方しかしていないからです。
「おしうることもまた難し
よくきくことも難ければ
信ずることもなお難し」
正しく教えることも難しいし、正しく聞くことも難しい、だから信ずる
ことはもっとも難しい、と親鸞聖人は仰せです。
だから、同じ事を、とりかえし、とりかえし、何度も、分かるまで、
話をしていきましょうよ。
かといって、すぐに一人2回というのは、難しいでしょうねえ。
ついでに、その過去の記録を見てみたら、あれれ、9月の佐々木義信氏
までは一人が2回、話を担当していましたが、10月に入ってからは、
一人が1回だけになっていますね。
どうしてかなあ?
スタジオを押さえ、出演者を呼び、せっかく録音をするのならば、
2回分、収録したほうが効率がいいのに。
しかも、これまでの話は、何となく、2回聞いてようやく話がつなが
るというか、一セットという内容になっていました。佐々木氏のでも、
「浄土真宗の生活信条1、2」という構成になっていました。
それが、一人1回、ということは、話の中身がなくなってきたからか。
聞かせる話題がないからか。「同じ話だ」と言われるのがいやなのか。
そんなことさあ、気にせずにどんどん話すればいいんですよ。
同じお言葉であっても、宗祖のお言葉を出して、繰り返し話をすれば
いいじゃないですか。
「また、あの話か」というような聞き方をするのが、間違いなのです
から。
「初事、初事、と、聞かねばならない」と蓮如上人も仰せではないですか。
同じ話だからなあ、などと躊躇しているのは、自分の影におびえてい
るのです。自分も、そんな聞き方しかしていないからです。
「おしうることもまた難し
よくきくことも難ければ
信ずることもなお難し」
正しく教えることも難しいし、正しく聞くことも難しい、だから信ずる
ことはもっとも難しい、と親鸞聖人は仰せです。
だから、同じ事を、とりかえし、とりかえし、何度も、分かるまで、
話をしていきましょうよ。
かといって、すぐに一人2回というのは、難しいでしょうねえ。
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